更新日:2012年05月17日
皆のもの、謙信である。
昨日の武録更新が、不甲斐なくも寝落ちの為に今朝になってしまった為、本日2度目の更新である。
家臣共が既に書いておる様じゃが、今日の不安定な陽気には些か困ったものじゃ。
久し振りに雷も鳴りおって、皆も外出するのが躊躇われたのではあるまいか?
季節の移り変わる時期にはこういった天気が続き易くなる様じゃのう〜。
戦とは、地の利を活かし、天の流れを察して動くことが勝敗を分ける事は明白。
ならば、我等もあの諸葛孔明の如き先読みで戦う事が出来れば…
うむ。
天気予報は毎日ちぇっくじゃ!
さて、前回儂の武録にて公言致した通り、儂に所縁の有る漢詩を更に紹介致そう!
今回は「春日山懐古」と言う漢詩じゃ。
林泉寺様の境内にも碑が建っておるが、皆気付いておったかのう?
この詩の作者である「大槻磐渓殿」は、聞くところによれば江戸後期の儒学者であり、また仙台藩士として活躍されておった方だそうな。
うーむ、この時代にも儂の生き様を惜しむ者がおったのじゃな。
「春日山懐古」 大槻磐渓
春日山頭鎖晩霞(かづがさんとうばんかにとざさる)
華留嘶罷有鳴鴉(かりゅういななきやんでめいああり)
憐君独賦能州月(あわれむきみがひとりのうしゅうのつきをふして)
不詠平安城外花(へいあんじょうがいのはなをえいぜざりしを)
(訳) 今日、ありし日の上杉謙信の居城春日山は夕霞に閉ざされ、むかしの名馬のいななきも聞えず、ただものさびしく鴉(からす)が鳴いているだけである。
それにつけても、謙信ほどの英雄が「越山併せ得たり能州の景」などと、むなしく能登の月をめでるにとどまり、京都に上って美しき花の詩を詠むこともなく、身を終えたことは、まことに気の毒でならない。
…と言う、何とも言えない哀愁漂う詩である。
因みに華留とは、古代中国の周の穆王(ぼくおう)が操りし優れた名馬の事を言うておるのじゃよ。
うぬ、儂も名馬が欲しいのう〜
本日はこれまで。
次回に続くのじゃ!
ではまた会おうぞ〜
カテゴリ:上杉謙信 / 更新日:2012年05月17日 / 投稿者:謙信
1件のコメントがあります。
謙信様にはいつも教えられることが多いです。
あの信玄公さえいなっかたならば、早々に上洛し、日本の覇者になっていたかも知れませぬ。残念です~。
(しかし、敵もやるものですね、世界一のよろい武者祭りとして、ギネス記録に認定されたとか。)