更新日:2015年06月28日
今から459年前の今日。
~1556年6月28日~
越後国内での相次ぐ謀反や内乱、言う事を聞かぬ家臣たち…
国政に嫌気がさした上杉謙信公(当時:長尾景虎)は、家臣に出家を告げ高野山を目指して突如出奔なされた日である。
書置きを見た家臣たちは当然の事ながら大騒ぎ。
そしてすぐさま謙信公の後を追いかけたというのが、この景勝の実父である「長尾政景」である…。
我が父、政景は春日山城より25km離れた霊峰「妙高山」麓の関山大権現(現在の関山神社)で発見したという。
おそらく謙信公は徒歩で6時間程かけて関山まで来られたのだろうか。
馬で追いかければその日中に追いつける距離である。
政景の懸命の説得により謙信公は家臣たちへの様々な条件のもと、出家を断念した。
しかし、この出家騒動が収まるまで謙信公は関山大権現に滞在なされる事となったらしい。
この関山神社は創建708年の奈良時代、裸行上人の創建と伝えらており、妙高山を霊山と仰ぐ真言宗の山岳道場として鎌倉時代には木曽義仲も信仰し、身を寄せたと言われ繁栄してきた場所である。
その頃、まだ26歳の若き謙信公にとって良き精神修養の地となったのではないだろうか。
この地では毎年、7月に火祭りという例祭が行われており、創建から1300年の歴史がある。
今年は7月17,18日の開催との事。当時の関山大権現を守っていた山伏たちを模した「仮山伏」の奉納演武など披露される。
当時より隠れ里的な場所であった為か、1300年という歴史の割に全国的にはあまり知られていないこの場。
皆も謙信公の様に「もうやだ!やめたい!」と物事に嫌気が指した時にはここに来て、心を落ち着けてみては如何だろうか?
カテゴリ:上杉景勝,上杉武録 / 更新日:2015年06月28日 / 投稿者:景勝
2件のコメントがあります。
はい!嫌気がささなくとも 行きたいです!!!
こんなに長い歴史を伝え続けてきた方々に感謝ですね。
最近、注目されて来ていますが・・・本格的な祭りですよね。
華やかな夏祭りと違った 神秘的な儀式の祭りに
今年こそは「いざ、レッツゴー!!!」 いたします。
景勝様、昨日の春日山散歩は雨天中止になり残念でした。
今日放送のBSプレミアム「にっぽん百名山」の妙高山を見て勉強してから、関山神社を訪問したいと思います。