武将隊ブログ

毘沙門軍記その三十六 語り伝わるもの

更新日:2013年07月18日

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ちと筆が御留守になりぎみであった謙信である。

皆の者おはようじゃ。

先日景勝達と訪れた武蔵の国は府中。

昨年にも景家達が名代としておもてなしに訪れておったが、ここはかつて武蔵の国の国府があったとされる場所。

我が郷の直江津にも国府があったという事で、何か繋がりというものを感じるのう。

どうやら近くには家康殿が鷹狩りに出た際の屋敷跡もあり、秀吉殿も招かれておるとか・・

景勝も過去に秀吉殿の供してこの地に来たのかのう?

今度聞いてみよう。

更にこの近くには分倍河原と言う、南北朝時代の英雄「新田義貞」殿の馬上像が立っておって、かつての戦の地であることを知らしめておる。

この地での戦があって、あの「稲村ヶ崎」の話に繋がるのか・・

げにも歴史とは面白きものじゃ。

皆も旅先で、思いもよらぬ歴史の繋がりを探すというのもこれはまた一興ではないか?

是非我が郷でも探してみてくれい。

では、本日もいざ出陣じゃ!

カテゴリ:上杉謙信 / 更新日:2013年07月18日 / 投稿者:謙信

コメント

2件のコメントがあります。

2013年7月18日 by From鶴岡市 さん

謙信公こんばんは。
今回の武蔵府中遠征はとても意味のあるものだったようですね。国府つながりもそうですが、この分倍河原は新田義貞様の鎌倉攻めだけにとどまらず、鎌倉~戦国時代まで何回も戦場になったらしいですね。北関東、東北、北陸などから鎌倉に向かう道がここで一つになったらしいので、鎌倉の最初の防衛線という場所だった時いてます。
何故こんなに知っているのかというと、私20年ほど前、この近くに住んでいたんですよ。なので色々聞かされました。新撰組のリーダー格の面々(近藤勇、土方歳三など)もこの近くの出身らしいですよ。
いつかここか鎌倉、あるいは皇居の近くなどで関東甲信越、いや全国の武将隊様のコラボイベントとかあるといいと思いません?関東は武士の聖地ですから。もし皇居の近くだったら天皇陛下がそうした武将隊イベントに出席されたら最高ですよね。謙信公、いかがですか?実現は難しいかもしれませんが、今や武将隊は日本の現代文化の一つであるといってもいいでしょうし。
それにしても今年に入ってから謙信公は関東行きが多いですね。もう今回で何回目だろう、と考えてしまったのは私だけでしょうか?
では。

2013年7月19日 by みぃ姫 さん

どこで・・・何があり・・・誰が?
歴史とは広く深いものですね!
最近「八重の○」を拝見しながら・・・
この中に我が先祖もいるのかなぁ~と思います。
で、あれば、戦国時代はどこにいたのかなぁ~?
あっ!なんか、気になってしまいます。
ちょっと、先祖探しの旅に レッツゴー!!!してきます。

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