更新日:2012年05月10日
皆のもの、謙信である。
この最近は修繕作業に明け暮れておる気がいたすが、まあ仕方ないのう〜
これも我に課せられた天からの試練。
今日も気合を入れて取り掛かるかのう…
こうして改めて縫い物してみると、我等の着物や装束を直してくれておった(はず)世話役の女子共や母上の苦労がわかるわい。
…
そうじゃ。
母上と言えば、先日の5月7日が命日(旧暦)であった。
しかも、今度の日曜は母の日であるな。
恥ずかし乍ら、儂その面影も温もりも思い出せぬ… 400年の月日とは実に長き事よ。
だが母上が居なくてはこの謙信もいないのは事実。
母は偉大なり、じゃ!
儂、きちんと孝行しておったかのう〜?
皆も御家族を大事に、孝行致せよ!
…ぬ?
なに!?
信玄の母上と青岩院様の命日が一緒との報告があるのか!?
うぬ…
これまた奴との因縁であろうか…
ならばまた我が前に現れる時が来るやも…
こりゃうかうか致しておれん!
よし、急いで修繕作業終わらせるぞよ〜!
では皆のもの、また会おうぞ!
カテゴリ:上杉謙信 / 更新日:2012年05月10日 / 投稿者:謙信
1件のコメントがあります。
もうすぐ母の日ですね。虎御前様は大変信心深く、慈悲の心を表す観音様を篤く信仰していたと伺いました。観音様は龍の化身であるといわれていますね。龍は人々に幸福をもたらす水の神。「毘」と共に「龍」の軍旗を見る度に、母上様の存在の大きさを感じますよ(^^)。謙信公39歳の時にお亡くなりになってますから、5回に渡った川中島の戦いの際は毘沙門天に祈りを捧げていた事でしょう。義に生きる息子の姿にきっと喜んでおられたと思います。きちんと孝行されてましたよ、御屋形様\(^〇^)/♪