更新日:2013年02月15日
もぐもぐ・・ ぬう、この「ちよこれい糖」なる物うんまいのう〜
もう一個いただこ・・ ん?
おお、こりゃ失礼いたしたのう〜
皆の者、謙信である!
昨日は現世では「ちよこれい糖」なる菓子を、日頃御世話になっておる者や、大切な者に渡したり、また頂く日、ばれんたいんの日であったようじゃの。
皆はどんな「ちよこれい糖」を渡したり、頂いたりしたかの?
さて、この素敵な日であった2月14日は「上田原の戦い」 があった日である。
あの川中島の合戦の引き金となった武将「村上義清」と「武田晴信」(後の信玄じゃな)が長野県北部の上田原という場所で初めて戦い、そして信玄が初めて戦で負けた日でもある。
この戦の後に信玄はもう一度再戦いたしておるが、「砥石崩れ」言われる程の負けを喫しているのじゃ。
儂でもまともに信玄から勝ち星を取っておらぬのに、村上義清恐るべき武将じゃのう・・
しかしこの後の砥石城攻めで真田幸隆にしてやられてしまい、儂の元にやって参る訳じゃな。
終生越後の為、北信濃奪回の為に尽力してくれた儂の大事な家臣じゃ。
儂の以前の武録にてこの家臣とその慰霊塔のあるお寺を紹介致しておるが、(詳しくは2011年、11月11日の義の家臣へ参照じゃ) 皆行ってみたかのう?
「ばれんたいん」から「村上義清」まで、いろいろ縁のある昨日であったが、今日はまた新たな一日を己が歴史に刻める様に悔いのない一日と致そうぞ。
では御一同!
新たなる義の戦へいざ出陣である!
あ、そうじゃ。
画像の不思議な枝ぶりの木は高田の市で見つけた「雲龍やなぎ」という物じゃそうな。
いろんなものがあるのう。
ではまたのう〜
カテゴリ:上杉謙信 / 更新日:2013年02月15日 / 投稿者:謙信
3件のコメントがあります。
謙信公こんばんは。今帰宅したところです。
チョコレートですが、私は義理チョコ3枚でした(^^;)。1つは母から、1つは職場の女性陣一同から、もう1つは猫ボランティアの方からです。
ときめきメモリアルってギャルゲー知ってます?その中の登場人物のある女の子は、主人公と面識はあるが好感度はそれほど高まってないと、
「はい、義理チョコよ!」
とはっきり義理チョコだと言い切って渡すんです(爆笑)!実際こんな女の子いたら爆笑もんですよね。
上田原の戦い、及び村上義清公ですか。義清公も謙信公も、信玄公の本陣に切り込んで一騎討ちを挑んだという共通性がありますよね。義清公の旧領を取り戻すことは出来ませんでしたが、謙信公は義清公の嫡男国清公を養子に迎え、上杉家の分家山浦家を継がせたんですよね?その辺も謙信公の義の心を感じますね。
あと2011年11月11日の日記も読ませていただきました。こうして中心への恩義を忘れないのも謙信公らしいですよね。謙信公のどこが好きなのか、と言いますと上越地方への地元意識(まあ私の父の代まで、ですが)もありますが、やはりそのスピリットなんですよね。
この場をお借りして。前からブログに謙信公、景勝公、兼続公のこと、及び武将隊の皆様のことを書きたいと思っていたのですが、昨日やっと「私と越後上越上杉おもてなし武将隊 前編」というタイトルで書き上げました。すみませんがURL貼りますね。どうしても皆さんに読んで欲しいので。書いてみたら予想以上に長くなってしまったのでブログの字数制限に引っかかってしまうと考え、前編、後編と分けました。前編は私が何故謙信公、景勝公、兼続公、及び武将隊の皆様ののファンになったのかと、謙信公のスピリット及びそれに対する私の考えを私なりにまとめてみました。
http://plaza.rakuten.co.jp/netanoyoi/diary/201302140000/
後編(去年の11月25日の武将隊DAYから今年の2/2イオンアコーレでの演武の話まで)は後日写真などをいっぱい載せて書きます。
書いたらまたURL貼りますね。
では。
謙信様
こんばんはヾ ^_^♪
お疲れ様でござります。
なんと、ちょこれーとなるものが献上されたのですね。
それもいっぱい!これで当分(糖分)困りませんなあ。
でもチョコはちょこっとですぞ。お体に障ります故。
あんみつも皆様にあげたかったでする。
長い歴史の中で毎日、何かしら事件が起きておりまする。
ばれんたいんでーと「上田原の戦い」が同じ日というのも初めて知りました。
毎日なんとなく過ごしておりますが、歴史の中で私たちは生きているのですね。
そして歴史を作っているのも我々だと思いまする。
では、「義の戦」へあんみつも出陣しまする。(^^♪
わたくしのチョコも食べて頂けましたでしょうか?
でも・・・
「御父上様!申し訳ありません。本命チョコは景勝様でございます!」
二度目の求婚にて、あと19年待ってくれるとの事。嬉しやぁ~~~。