更新日:2020年03月20日
景勝である。
前回武録よりおよそ一か月…。またしても間を空けてしまった…。
一か月前は既に世を騒がす流行り病が出始めていた頃であったが…
この一か月の間にまさかここまで様々な影響が出てきてしまうとは…
お知らせで出させてもらった通り、我らが主戦場とする催しのほぼ全てが中止。
我らも関わる観光関係の商いは勿論、飲食や物流、公共交通、そしてお子達の学び舎…すべてのものに悪影響が出てきてしまう事態に。
我らが甦った2011年から約9年。これほどまでの規模で出陣予定が狂ってしまう混乱は正に未曾有の出来事。
流行病に罹らぬように気を付けるのは勿論の事、日常生活や仕事をする上で、きっと皆大変な事があるであろう。
このような時こそ、義の心が試される時。
皆ひとりひとりが助け合い、譲り合いの心を持ち、力を合わせ苦難を乗り切りたいものだ。
さて、題目にある通り、我らも総力を挙げてPRし続けてきたあの「北陸新幹線/上越妙高駅」開業から早五年。
本来であれば五周年記念を祝う大きな催しにも出陣予定であったが…それも消えた訳である。…誠に無念……!!
これまでの五年間、関西や関東、随分とこの北陸新幹線の恩恵に預かってきたものだ。
この節目の年に今一度あの大いくさ…思い返してみようかのぅ。
時を遡る事、五年。
北陸新幹線開業と共に上越妙高駅の名を広く知らしめようと「上越青年会議所青年部」殿が仕掛けた壮大な企て…その名も
~謙信・大号令『参られよ!いざ上越妙高駅へ!!』~
~2015年3月13日~ 開業日前日
上杉おもてなし武将隊、東京駅前に着陣!
謙信公・景勝・そして当時在任の女武者みつは東京。
兼続と当時在任の足軽つばめは富山、石川。
十吾郎は長野。
…と、分隊。
兎にも角にも「上越妙高駅」の名と謙信公の故郷という事を流布する為、開業前日に街中を練り歩くというこの戦。
東京組は更に分隊し…
わしは足軽たちを引き連れ繁華街へ(電車にて)
原宿駅…ここの前に人の群れで名高いあの竹下通り…!
今考えると凄い場所を歩いたものだ…。
そして新宿駅!
この様にそれぞれが奮闘した一日。
東京駅をはじめ、あのような大都会の繁華街を歩くとは後にも先にもない稀なる出陣であったな。
そして翌日開業日当日…早朝…
まだ世も明けぬ暗い東京駅前にて此度の大号令に応えた「グレート家康公葵武将隊」と元・奥州片倉組の大殿「伊達政宗」と合流!
暗い中での甲冑武者…なんとも怪しい集団だが…
そして、記念すべき北陸新幹線開業の始発の時刻迫る…!
我ら甲冑武者は新幹線に乗る際の制限として…
このような羽織を着ることになったのだ。
更に怪しい…。
そしていよいよ出発の時。
勿論、新幹線移動の際は車内で催しなどはないので大人しく静かに…
…
上田駅にて「信州上田おもてなし武将隊」真田幸村と合流!
長野駅にて「風林火山甲陽戦国隊」武田信玄公と合流!(十吾郎付き)
そして遂に…
上越妙高駅に着陣!怪しげな羽織からようやく解放
そして1万人の顔写真が構成される「ギャザリングアート」の除幕式
これは圧巻であったなぁ。
今現在は移設され、上越市民プラザで見る事ができるぞ。
更には駅一階エントランス「もてなしドーム」での各地武将隊からの土産紹介
この開業日イベント限りの半球状の「かまくらドーム」にてそれぞれの演武披露
そして最後は新しく造られた馬上謙信公の銅像前にて全軍集合…!
こうして振り返ってみると…開業日前日も含め、誠に盛り沢山な二日間であったな。
各地武将隊の力も借り、我ら武将隊が上越の顔として北陸新幹線開業という大きな節目の時に役目を果たせた事、おもてなし武将隊冥利に尽きるというものだ。
…それだけに此度の五周年記念イベントが中止となってしまった事は形容しがたい程の無念。
今は耐え忍び、一日も早い流行病の終息を願おう。
そして反撃の狼煙を上げるべく、今だからこそ出来る戦支度を整え、「機」を待つのだ…!
次なる大いくさを求めて…!
カテゴリ:上杉景勝,上杉武録 / 更新日:2020年03月20日 / 投稿者:景勝
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